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偽の光を見抜く
ジジ・ヤングさんがFacebookでシェアしていた記事です。
日本の状況に特に当てはまる内容だと思ったので翻訳しました。
石を投げたら当たるぐらいの勢いだと思います。日本人に対する洗脳は深いです。
スピリチュアルを教えていて、自分の頭で考えなさい、とかいう人はほぼ皆無だと思います。
受講者の依存心や簡単に楽になりたい欲を突いてきます。
依存は儲かります。「儲かる、という言葉は信者と書く」、と言われるほどです。
だから狙ってやっている場合もあります。本人は儲かっても信者は救われません。
相手を信者にするような人が、相手の幸せを祈っている訳がありません。
そもそも信者になってはいけません。
左:心地良い嘘 右:不愉快な真実
お金の問題ではなく、魂の問題の場合もあります。
実際役に立つことや、一見素晴らしいことを言いながら、本質から目を逸らさせるタイプの人たちがいると見ています。本当のことを言って騙す。だから目先でいいなと思ってフォローすると、大事なものを失います。例えば、アセンション、風の時代は〜みたいな話をして、この陰謀現実から目を逸らさせます
— やつお (@yatsuosan) June 20, 2021
文字制限があって短くまとめないといけないので誤解しやすいのですが、アセンションも風の時代もそのとおりだと思っているのですが、そういう本当のことを言って、(ひどい)現実、もっと大事なことから目を背けさせるものがある、という意味です。
— やつお (@yatsuosan) June 20, 2021
昨日講演会に行って直接知っている人から聞いたのですが、ああ言っているけど、実際会うといい人だよ、とのことです。参考まで。
— やつお (@yatsuosan) June 22, 2021
皆で乗り越えていきましょう。
引用先は以下です。
ジジ・ヤング:メアリー・アリソンによる、識別力(discernment)と現代の教師と生徒の関係についての素晴らしい記事です。
偽スピリチュアルを見分ける方法 メアリー・アリソン
(や)は私の解釈です。
私たちは、自己の覚醒のために「すべては愛のために」戦略を誇示するスピリチュアルなグルや教師が、もはや陰影のある仮面の後ろに隠れることができない時期に来ています。無限の光を主張し、自らの超越的な詩の粗野な言い回しの中を泳ぐ、事実に反する(や 偽の)グルは、人間の経験である深遠さ、葛藤、不器用さから遠ざかり、下流へと流されていきます。マスターが「流れに身を任せる」ことを重視するあまり、積極的な受動主義と呼ばれる状態になっているのを、フォロワーたちはじっと見つめます。積極的な受動主義とは、現実から深く切り離されてしまい、最も重要であるスピリチュアルな原則である「見極め」(discernment)や「批判的思考」(critical thinking)ができなくなってしまうことです。
生徒の中には、リーダーに追随して素朴さに酔いしれる者もいれば、そもそもこの人物を権力の座に押し上げた要素を突いてくる者もいます。「ジェフリー・エプスタインの時代の傍らで、私の精神的な指導者は何をしているのだろう」というようなことになるかもしれません(ちょっとした風刺です)。
*(や 霊的に覚醒しているのに、このような現実に気づかないか、知っていて無視するなんておかしいですよね。)
私たちは、集団として、スピリチュアルな懐疑心という素晴らしい芸術とのつながりを失っています。スピリチュアリティとは、自己のあらゆる側面を体現することであり、それには、自分の本質、自由、子供(特に子供)が脅かされると、シーッと音をたてたり、唸ったり、叫んだりすることを恐れない動物的な本能も含まれます。(や ジェフリー・エプスタイン問題について声を上げることを指していると思われます)。90年代から2000年代初頭にかけて、スピリチュアルな受動主義の波が押し寄せました。光、愛、幸福を究極の真実の道しるべとする教師たちが描かれ、宣伝される一方で、私たち一人ひとりが統合し、癒し、観察するためにここに来た個々の影と向き合うことをないがしろにしてきました。これは、愛の領域に向けられた光の明るい教えが、人間の影とはあまりにも釣り合わないために、教師とその生徒が(や 全体性としての)人間の経験から完全に解離してしまうという、ある種の断絶につながります。
あなたは解離したことがありますか?慢性的な解離に対処したことがある人は、解離の呪文に入るときに違和感を感じたことがあるでしょう。(や 葛藤を経験したことがあれば、表面的で一面的なものに「?」と違和感を感じるでしょう?と言うことだと思います)それは、たとえ神と結婚しようとしても、解離し続けることは人間にとって有機的ではないからです。私たちは人間の感覚を探るためにここに来たのであって、神から人間を切り離すために来たのではありません。人間の純粋な衝動、本能、存在の本質から慢性的に解離している人たちの集団(や キレイな方しか見ない、汚いものは見ない)は、信じられないほど脆弱で危険な環境を作り出しています。
私が信頼しているスピリチュアルな教師は、識別力を主要な原則、指導するフォース、彼らの秘伝的な知恵を守るものとして用います。彼らは私の直感を尊重し、私が彼らと意見を異にすることや、自分のペースで歩くことができるように配慮してくれます。彼らは、自身の不安定な感情的欲求を満たすために、私の心の形を変えることを決して意図していません。それは、彼ら自身のシャドーワークの領域で対処されることであり、私たちの関係の間でなされるべきものではありません。さらに付け加えると、私は彼らを個人的に知り、交流します。そうすることで本物の教えと調整のプロセスの妨げとなる過大評価の星のようなもやもやを取り除くことができます。
統合されたスピリチュアル・ティーチャーは、あなたが自分自身で考えるように促し、神聖な理解へのあなた自身の導線/チャンネルとなるようにします。あなた自身の真実に喜びを感じてください。そうすれば、聖なるものはあなたに加わり、悪意のあるものはそっと離れていくでしょう。
~ メアリー・アリソン
*光(本質)だけに目を向けると、闇(現実)が見えなくなりアンバランスになります。
何を気をつけたらスムーズに意識を向上させることが出来るのかは
こちらの記事をぜひお読みください。
原文
We are arriving at a point in time where spiritual gurus and teachers who flaunt their, “all about love” strategy for the awakening of self, will no longer be able to hide behind masks of nuanced esotericism. The counterfactual guru, the one who bathes in infinite light, swimming in the raw verbiage of their own transcendental poetry, will drift downstream, away from the depth, struggles, and awkwardness that is the human experience. The followers will stare as their master becomes so “go-with-the-flow” oriented that he/she drifts directly into what we call positive passivism. Positive passivism is when you become so deeply detached from reality that you no longer honor, potentially the most important spiritual principle, discernment/critical thinking.
Some of the students will follow their leader into a haze of naivete, while others will begin to poke and prod at the very elements that proliferated this person into power to begin with. It could become a, “What is my spiritual guru doing next to Jeffrey Epstein” moment (slightly satire).
We, as a collective, have lost connection to the fine art of spiritual skepticism. Spirituality is embodying all aspects of the self, including the animalistic instinct that is not afraid to hiss, roar, and scream when its very nature, freedom, or children (especially children) are threatened. The 90’s and early 2,000’s brought us waves of spiritual passivism, illustrating and promoting teachers who use light, love, and happiness as beacons of ultimate truth, while neglecting the individual shadow that each one of us came here to integrate, heal, and observe. This leads to a sort of disconnect, where light-hearted teachings put towards the realm of love are so out of proportion to the human shadow, that the teachers and their students dissociate from the human experience entirely.
Have you ever dissociated before? If you have ever dealt with chronic dissociation, you have probably felt a level of discomfort arise when entering into a dissociative spell. This is because repeatedly dissociating, even in attempt to marry God, is not organic to the human being. We came here to explore human sentience, not to cut ourselves off from it. A collective grouping of people who have chronically dissociated from the pure impulse, instinct, and existence of their own human nature creates an incredibly vulnerable, and dangerous setting.
The spiritual teachers I look to carry discernment as a leading principle, a guiding force and protector of their initiated esoteric wisdom. They honor my instinct and hold space for me to disagree with them, to walk to the beat of my own drum. They never intend to sculpt my mind to fulfill their egoic need for unstable emotional gratification, as that is tended to in the realm of their own shadow work, not between the relationship we carry. I will also add, I know and interact with them personally, removing the overrated starstruck haze that can serve as a distraction to the process of genuine teaching and alignment.
The integrated spiritual teacher inspires you to think for yourself, to be your own conduit/channel to divine understanding. Revel in your own truth, and all that is holy will join you, while all that is ill-intentioned will gently fall away.
~ Mary Allison