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失われた原理:マーク・パシオ

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失われた原理:マーク・パシオ

前オカルティストのマーク・パシオが、見えない世界の原理原則をまとめて解説している
素晴らしい内容だったので訳しました。

  • 結局は「ケア」、関心がないからそれを止めることができない
  • 人々は些細なこと、どうでもいいことしか「ケア」をしていない
  • 「ケア」するものが物理的な現実世界で現実化する
  • 無知、無関心であれば無知、無関心が集合の体験として現れる
  • ニューエイジは人々を行動することから遠ざけている
  • 変えるにはまずは「ケア」を持ち、行動すること

だと言っています。

今の日本そのままではないかと思います。

闇が人々を行動させず意識を何か別のものに集めて逸らしている形而上の理由もわかります。

私が大まかに考えていたことに法則的な裏付けが得られて訳していてとても勉強になりました。

以前取り上げたマーク・パシオの短い動画です。

自然法則における7つの基本原則

原理原則(プリンシプル)という言葉を定義してみよう

プリンシプルとは、ラテン語の名詞プリンキピアに由来する

プリンキピアとは、「第一、真っ先の、先導する
主な、最も必要なもの」という意味だ

最も重要なもの、他の何かを理解する前に
まず最初に理解しなければならないことである

原理原則が先なのだ

私はこの情報を隠蔽から開放しようと試みている
それは隠されてきたのだ

隠蔽されていることが、社会の構造を破壊し
私たちを束縛しているのだ

それは隠されず表に出し
それを受け入れ理解できる人なら誰とでも
広く自由に共有する必要がある

さて、ここが問題なのだが
私たちの社会は原理原則を第一に置かずに
些細なことを第一に置く

もはや原則を第一に気にする社会ではなくなった

だから、まず第一に
最優先事項や原則を優先させなければならない

これが自然法則における7つの基本原則だ

オカルティズムを学んだことのある人なら、これが
「錬金術の原理」と呼ばれるものであることに気づくかもしれない

この情報を一般に公開することは道徳的な義務である

これは「失われた原理」の完全版である
マーク・パシオ

「メンタリズムの原則」

「メンタリズムの原則」は
「創造物の全ては実は心が現実化したもの」というものだ

「常に心である」

つまり、全ての出来事は、それに先立つ
精神の状態の結果でなければならない、全てだ

何かが存在するためには、まず思考が形成されなければならず
その後に物理的な現実が形成されるのだ

宇宙そのものが、創造主の精神的な構築物なのだ

思考は物事や事象を現実化するのに先立つ

思考は条件を作り出す

思考は物事や状況を作り出す

それはただ魔法のように状況を作り出すのではない
思考が先なのだ

思考は私たちの存在の状態と
究極的にはこの地上での体験の質を作り出す

したがって、私たちは
自分が考えることに責任を持つことによって
自分が作り出す全てのものに責任を持つべきなのだ

なぜなら、その思考プロセスが
行動の原動力になっているからだ

人がそのように行動するのは、ある信念体系が
心の中に埋め込まれ、プログラムのように動いているからだ

彼らの思考と感情が、彼らの行動を動かしているのだ

だから魔法のように突然、ただ行動が変わることはない

思考や感情は、行動の原動力となるものであるから
変えなければならない。その時、現実が変わる

ほら、もう人々は聞きたがらない
なぜなら、現実を変えたいなら、あなた「自身が」
考え方を変えなければならないからだ

あなたの考え方が、あなたが言うようなものを
手に入れるための条件には適合していないからだ

多くの場合、彼らはその真逆のことをやっている
それが「メンタリズムの原則」だ

「対応の原則」

「対応の原則」とは
「上にあるものは下にあるものに近い、または似ている」
というものだ

つまりこれは
「下にあるものは上にあるものと似ている」ということ
それは鏡だ

上は下のようなもの、下は上のようなものだ

この場合の上とは、マクロコスモスのことだ
一見、自分の外側にあるように見える
創造物を支配する大いなるものの法則だ

マクロコスモスは非常に大きなもの、全てのものの総体であり
ミクロコスモスは非常に小さなもの、つまり全体を構成する個体だ

それらは互いに対応しており、切り離すことはできない
一方が進めば、他方も進む

宇宙は実はホログラフィック・システムなのだ

ホログラムは映像なんだ
レーザーを当てて、3D画像を映し出す
平面の画像が立体的な画像を投影するような感じだ

でもその面で、なぜホログラム、ホロ、全体像と呼ばれる
かというと、ホログラムを切断して複数の部分に分けると

もしホログラムを4つに分割しても、1つは4/1、もう1つは4/1
3つ目は4/1、そして4つ目は4/1なんてことはないわけだ

1/4だけ解像度を失った4枚の全体像を持っている

つまり、全てのものが全ての小さな部分に含まれているんだ
それが私たちが生きている現実であり
宇宙はホログラフィックなものなんだ

つまり、個人の中に宇宙があり
宇宙全体が個人のようなものなのだ
それらはお互いに対応しあっている

「対応の原則」のもう一つの部分は
私たちの現実もフラクタル的な性質を持っているということだ

フラクタルとは自己相似的な数学的生成パターンだ
数学でいうフィボナッチ数列のようなもので
自然界ではこれが無限に繰り返されている

原子の構造を見てみると、それは太陽系の構造に似ていて
銀河系の構造にも似ているんだ

同じような仕組みで働き、同じ見た目だ
十分に引いて見ると、同じパターンの繰り返しを見るだろう

つまり宇宙はホログラフィックで
全体は部分に含まれ、逆もまた然りということだ

宇宙はフラクタル的でもあり
どんな大きさであっても自己相似的な存在だ
それが「対応の原則」だ

「振動の原則」

「振動の原則」とは、簡単に言えば
「死んだように静止していたり動いていないものは存在しない」
ということだ

その意味では死は幻想だ
本当の死は全ての運動とエネルギーが停止することだからだ

そんなものはない、存在しない

創造物において
何かが完全に静止していることはあり得ない

全てのものは動き、全てのものは振動している
宇宙とそれを構成するあらゆるものは
究極的には純粋な振動エネルギーであり

様々な方法、様々な周波数
様々な振動形態でその形を現している

宇宙には、私たちがマクロな宇宙レベルで想像するような
真の意味での固体は存在しない

物質とは、単なる振動するエネルギーに過ぎない
つまり、真に固体であるものはない

繰り返しになるが、私たちは人間の体験をしている霊なのだ
宇宙全体が霊であり、固体の体験をしている

それが「振動の原則」だ

「極性の原則」

「極性の原則」は
「全てのものには二極の性質がある」というものだ

「存在するもの全てに極性がある」
全てのものに極があり
全てのものにはその対となるものが存在する

しかし、どんな対でも性質は同じでも程度が異なる
では、それがどういうことなのか、例を挙げてみよう

暑さと寒さは本当に相反するものなのか?
それとも、熱エネルギーがあるかないか

つまり同じもので、エネルギーが特定の場所に
集中すれば暑くなり、それが欠如すれば寒くなる
それが根本的なレベルでの暑いか寒いということだ

私たちの知覚のレベルではそれらは正反対なのだ
しかし根本的なレベルでは、それらは同じものなのだ
エネルギーか、それか、それが欠如しているか

極性同士が互いに出会い、混ざり合い、そして戯れ合う
陰陽シンボルで示されている、男性性と女性性だ
それらは融合させる必要がある

そして現実のあるレベルでは、一見矛盾しているように
見えるもの全てが解決されることがある

さて、もう一度この言葉、「あるレベルで」を強調しよう
統一場のレベルでは、全ては意識、純粋な意識だ

しかし、このレベル(現実)では、意識に差異がある

このレベルでは
私たちが理解しなければならないことが起こっている

このレベルでは
私たちが正し、修正しなければならないことがある
それが重要だから、重要なことだからだ

だから、巷のニューエイジ論には注意が必要なんだ

そう、全てのパラドックスは解決できるのか
「あるレベルでは」
この領域では物理的な領域で地に足をつけることが必要だ

「リズムの原則」

「リズムの原則」を見てみよう

「全ては流れ出し、流れ込む。全てのものには潮流がある
全てのものは満ち欠けしている」

つまり、全てのものにはリズムや揺らぎがある

エネルギーには傾向がある

振り子の揺れは
私たちが経験するもの、認識するもの全てに現れている

右への揺れの尺度は、左への揺れの尺度である
ちょうど逆だ。反対に見える。リズムが補う

自然法則の話をするときにこれをどう理解すべきか
多くの人は、「まあ、そういう傾向で動いているんだろう
それはただ、潮の流れがそうさせている」と言うだろう

でもそれは正確ではない。リズムががっちり定まっていて
今こうでなければいけない、というような見方はできない

このような法則や原則は、より高い意識レベルによって
克服することができるというのが
多くの錬金術の伝統が教えていることの一つだ

これもその一つだ
リズムとは何かがある方向に振れる傾向や原則に過ぎない

ボートがあるとして、ボートを漕いで海に出たいとする
あなたは潮の満ち引きを乗り越えなければならない
波も乗り越えなければならない

それに満潮時にその潮の流れが強かったら、もっと大変だ
海へ出すのにもっとエネルギーを使うことになる

しかし、もしあなたが沖に向かう流れに乗るなら
海の奥深く外側に向かう流れがあり
船を漕ぎ始めるなら、もっと簡単にできるはずだ

つまり、飛行機を押し流す風があれば
その分エネルギーを消費しなくて済むということだ
その分エネルギーが増えるので早く着く

しかし、風に逆らって飛ぶのであれば
もっと多くのエネルギーを消費しなければならない

それはただの傾向に過ぎない
それでもあなたは行きたいところへ行ける
もっと頑張らないといけないかもしれないが

それが「リズムの原則」だ

「原因と結果の原則」

これが自然法則の原則で、私が今日使っている
原因と結果の法則という言葉に最も合致しているものだ

多くの人、ニューエイジのコミュニティでは、原因と結果が
あることを信じたがらないが、結果は最初に来る
原因によって引き起こされ、次に結果が現れる

つまり「原因と結果の原則」とは、簡単に言えば
「全ての原因にはその結果があり
全ての結果にはその原因がある」ということだ

「起こることは全て法則に従って起こる」

偶然とはこの法則が認識されずに呼ばれている名前だ

因果関係の面は沢山あるが、法則から逃れられるものはない

では改めて、自由意志はあるのか?そう、自由意志はある

しかし、結果なしに法則を無視する自由はあるのか?
いや、それはない。それが自由意志の限界だ

自由意志は
私が自然法則と呼んでいる境界条件の中で作用している

実際、法則の連続なんだ、いいかい?
自由意志は、これらの変数や境界内にあり
限界を超えられないし、結果なしには超えられない

ああ、そう、自然法則を破ってもいい
破ることはできる。しかし結果なしに破ることはできない

結果なしに破ることはできない、ネガティブな結果だ
そのため、この知識体系は過去に「結果主義」と呼ばれてきた

それは、自然法則の境界の中で
私たちの自由意志による意思決定プロセスによって
結果がどのように発生するかについての知識だ

その効果はすぐに現れる?ノー、すぐには起こらない
タイムラグがある。あなたは動き出す原因を作った

あなたが原因を設定することによって発生した結果を
宇宙は必要な全ての力学を再配列することによって
知的にあなたにもたらそうとする

そして、原因が動き出すのと、結果が巡ってきて
あなたに当たるまでには、時間的なギャップがある

このように、私たちが直線的な時間として
認識するものによってタイムラグで隔てているため
原因と結果のパターン認識はより困難なものとなっている

さて、もしあなたが誰かに悪いことをして
すぐにスズメバチに刺されたとしたら
あなたが誰かに悪いことをするたびに

それがすぐに現れて2秒以内にあなたにを刺すとしたら
誰かを傷つけたり、誰かのものを盗んだり
誰かに嘘をついたりしたとき、etc…

刺されたことと自分がした悪いことを結びつけて考えるだろうか?
ほとんどの人はそのパターンが分かると思う
パターンを認識するだろう

でもそうならないのは、他人にとって有害なことをしてから
自分にとって有害なことを経験するまでタイムラグがあるからで

タイムラグを通して関連性を見出すのは非常に難しい

だから最終的に私たちに戻ってきて噛みつくことになる
このように、私たちの思考や感情、行動を変えなければ
私たちが原因を作ったものが実際に後でのしかかってくる

次に理解しなければならないのは、「2つの領域」だ
結果の領域と、原因の領域だ

物理的な現実である結果の領域には
いかなる変化ももたらす力はない

繰り返すが、既にそうあるものはどうしようもない
変えることはできない。過去は変えられない

今始まっていることを変え、未来に変えることはできる

でも、今あるものが真実だ
そして、それを受け入れるか拒否するかだけなのだ

過去は変えられない。つまり今までに現実化した
物理世界は過去に起きた事によって起こったということだ

原因は過去に起きたこと
それは今すぐにはどうしようもないことだ

結果の領域や物理世界は現実化する場所だ
目の前に現れた現実は既に起こり、既に形となり
その根底にある原因によって形成されている

結果の領域とは、既に起きたもので構成されている

このように、起きてしまったことは元に戻すことができないので
ここには変化をもたらす力はないのだ

起きてしまったことは、元に戻すことはできない
起きてしまったことは、もう終わってしまったことだ

それはあるがままの姿、つまり真実が形になったのだ

人間の意識は結果の領域に囚われているようで
人類全体が自分自身が引き起こした根本原因を知らず
それが自分自身を苦しめることにつながっている

もしあなたがこのレベルに囚われているとしたら
あなたは症状を見ていることになり
症状を見ていることから抜け出せないでいるのだ

原因の領域を見てみよう。こちらがもう一つの領域
ここは精神の領域、心の世界だ

繰り返すが、自然法則の第一原則である「メンタリズムの原則」
によれば、「現実化するものは全て物理的に現実化する前に
まず心で形成されなければならない」

だからまた、原因の領域が心の中で原因を生み出している
精神の世界だとすると、なるほど、全てはまずそこで起こって
それが物理的な領域へとなだれ込んでいくわけだ

精神の世界で形成された後にのみ
初めて物理的な領域で現実化する

原因の領域では、その原因が結果の領域で
形成された現実として現れる前に原因が作られる

「性別の原則」

自然法則の7つの原則の最後の原則
少なくとも形式化されたものは、性別(ジェンダー)である

「性別はあらゆるものに存在し、全てのものには
男性的な要素と女性的な要素、あるいは原理がある」

人間の脳や意識、世界観などに関しても言えることだ

性別はあらゆる存在次元で現れている
霊的、精神的、肉体的、全てだ

とてもシンプルな概念だ
精神的な性別について簡潔に話そう

精神的性別とは、心の中に男性的側面と
女性的側面が共存している状態のことである

私たちの左脳半球は、心の男性的な側面や知性
つまり論理、分析的思考、直線的思考プロセスを主に促進する

一方、右脳半球は女性的な側面や直感、つまり
創造性、思いやり、全体的な思考プロセスを主に促進する

「失われた原理」(「生成の原理」)

この次のセクションは私が「失われた原理」と呼んでいるもので
自然法則の8番目の原則で他の全ての原則を束ねるものだ

これは私が「包み込む原理」と呼ぶものだ

それは、他の全ての原則が非常にうまく
きれいに収まるようにするための容器なのだ

オカルト的な観点から研究している人でも
結果論的な観点から研究している人でも
言及している人は他にほとんどいない

8番目の全てを包括する原理を取り入れているのを
聞くのは非常にまれだ

このパターンを何と呼ぶか、誰か知ってる?
「生命の種」だ。種から何が生まれる?
それは成長し、何かを生成し、何かを創造する

種には外皮、外殻がある

創造的で遺伝的な物質が含まれる内核に到達するには
その殻が完全でなければならないんだ

種子の殻を破ってしまったら
種子の創造的なエッセンスは失われてしまう

さて、その原則とは何かというと、、、こういうことだ
それは、8番目、いわゆる「失われた原理」だ

「それは、あらゆる変化が現れるために
存在しなければならないものだ
そしてそれは、多くの人がそう考えているようなものではない」

これが何であるかを話しても、人々が思うであろう
不正確な意味を含むことを保証しよう

8番目の原則はこうだ

「生成の原理」、または創造を支配する原理として
知られており、実際には私たちが望むと言った
結果を実らせ生成する原因となる要素である

しかし、その本当の意味は何だろうか?その「生成の原理」
が実際に何であるか、誰が想像できるのか?

その「生成の原理」とは「ケア(気にかける)」だ
これは「共感」とは異なる

なぜ「共感」という言葉を使わないのかと言われるが
それは私の言っていることとは異なる
「共感」や「愛」と表現するのとも違う概念なのだ

それはつまり、「あなたが何に注意を払い
何を成長させる手助けをしているか?」ということなのだ

「あなたは何に注目しているのか?」
なぜなら、あなたが注目しているものが
最終的に生成され、創造され、成長するものだからだ

これは世界で起こっていることを無視するのを
意味するものでもないし、エネルギーを与えるから
ネガティブなものを見てはいけないということでもない

そういう意味ではない。それはつまり、何に餌を与えているか
を知っているということだ。それを望むなら無知に
餌を与えていることになり、それが成長することになる

ニューエイジの奴らがそう思わせたいのと真逆なんだ

ネガティブを無視することで
より多くのネガティブが起こることになる

あなたは「無視」することによって、それに油を注ぎ
それが成長し、起こるのを確実にする

「ケア」とはありのままに見なければならないものだ

これは、あなたがエネルギーを注いでいるもの
これはあなたが注目しているものだ

これは、あなたが実際に行い、時間を費やし、注目し
この世界で現実化するために十分に「ケア」していることだ

それが私の言う「ケア」だ

それが集合として私たちの経験を生み出す
ほとんどの人は、本当に何が起こっているかを「ケア」していない

したがって、私たちが集合としてエネルギーの方向を変え
意識の方向を変え、最終的に私たちが欲しいと
言うものを手に入れることは不可能なのだ

それが本当の引き寄せの法則なのだ
実際どう働くかはこんな感じだ

「失われた原理」とは、「ケア」の力学だ

「私たちが日々気にかけている(ケア)ことが
私たちの思考や行動の原動力として作用する」

私が何を訓練すべきと言ったのか?
ハート、精神、根性
ハート、精神、根性、この順番、「ケア」が最初だ

知る、知識を発達させるには十分な「ケア」が必要だ
その後それを実践し、応用するんだ

それが順番だ
①ハート、②精神、③根性
①「ケア」、②知識、③行動

それが順番であり、その3つが揃わなければならない
3つともだ。統一意識とはそういうものだ

思考、感情、行動を統一することだ
意識の3つの面の間に矛盾があってはならない

私たちがどう思考し、発言し、考え、感じ
行動するかが同じひとつのものである、矛盾はない

それが統一意識であり、「ケア」が思考と行動の原動力なのだ

それは結局のところ、「ケア」がこの地球で私たちが共有する
経験の質を生み出すものと見ることができる

「ケア」こそが、全体を生み出す
それ故に「生成の原理」と呼ばれてきたのだ

体内のポンプである心臓のように
ポンプは何をするものなのか?それは発電機だ

エネルギーを供給する
体内の血液を通して生命力を運ぶ

どの古代の伝統でも
生命力は血液の中にあると語られている

心臓はその生命力を全身に送り込み
生命維持に必要な働きをする
心臓は発電機であり、ポンプなのだ

それは存在の中心なのだ

今話したように、脳が重要であるのと同様に
ハートが最終的に経験を生み出しているのだ

なぜなら、何を「ケア」するかによって
日常的にほとんどの時間、何を考え
その結果、どう行動するかが決まってしまうからだ

フリーメイソンのコンパスと四角のシンボルマークで
真ん中に 「G」があるものを知っているか?
それが最高レベルにおける「G」の意味だ

玄関までのメイソンも多いって話だ
彼らは世俗的な教えを与えられ、自分は知っていると
思い込んでいる通俗的なメイソンたちだ

彼らには、「G」は単に幾何学や神、etc…
を意味するのみだと情報が与えられる

少し高いレベルで意味として教えられるのが
グノーシス、知識という意味だ

より高いイルミネイテッド、フリーメイソンの32階級以上の
レベルでは、コンパスと四角の中の「G」の本当の意味を教える

それは「生成の原理」なんだ。起源、創造という意味だ

ああ、神とちゃんと結び付けられる
それと違うとは言っていない

物理的に現実化した世界で作られる形は幾何学的な形だ
つまり幾何学でもあるわけだ。それら全てなんだ

しかし最高レベルでは「生成の原理」が
「秘教的」フリーメイソンで言うところの 「G 」の意味だ

「創造する」という意味から「生成の原理」と呼ばれている
それは「創造する」という動詞が由来で
ラテン語の「ジェネレ」から来ていて「創造する」という意味だ

「生成の原理」は、私たちがそれによって創造するものだ

そしてそれは人々が「ケア」しないから失われているのだ!
「ケア」がないんだ。それ故に、「失われた原理」なのだ

いいかい?これがその仕組みだ、皆さん

「私たちが意志を貫いて十分に「ケア」しているものは?」

繰り返しになるが、①ハート、②精神、③根性
根性は意志、行動であり、男性原理なんだ

それが物理的な領域で
最終的に物事を成し遂げるのに必要なものだ

「私たちが意志を貫いて十分に「ケア」しているものは?」

それは「ケア」によって動くのだ
その意志を動かす発電機やポンプとなるのが「ケア」なのだ

そして、その意志を貫いて十分に「ケア」するものは
最終的に私たちの世界で創造され、現実化するものなのだ

ニューエイジは「行動を起こさせない」

このような世界になったのは
多くの人が十分に「ケア」しないからだ

たとえリップサービスで「変わってほしい」と言っても
実際に「行動」を通じて変えるほどの「ケア」はないのだ

結局のところ、「行動を起こさない」ということなんだ

「行動を起こさない」
ニューエイジのコミュニティはそうデザインされているものなんだ

奴らは人々が活動的でいて欲しくない
闇のオカルティストたちが、私たちの現実を最終的に
生み出しているものが行動であることを知っているからだ

行動こそが私たちが「ケア」をする現実を生み出しているのだ
私たちの「ケア」と望みが私たちの行動を動かしているからだ

だから、ほとんどの人は「変わってほしい」と言うだろう
でも、「そのために何をしているか?」と聞かれると、、、

一言もない。沈黙が訪れる
自分の行動を通じて変えようとするほどの「ケア」がない

それが失われた「生成の原理」というものだ
その原理を「取り戻し」、人々が怠惰から
そして何より臆病から再び抜け出すまでは

結局のところ、ニューエイジの講義では
結局ニューエイジ運動とは何なのかという話をしているんだ

そして、どんなニューエイジでもその目を見れば
奴らは卑怯者であることがわかる。卑怯者だ!

結局、奴らは私たちが直面している悪を知りながら
それに対してこれっぽっちも何もしないつもりなのだ!

結局はそういうことなんだ
それとは違うと言う人はあなたに嘘をついている

奴らは卑怯者だ、終わり

そして、私はどんな相手にもちゃんと言ってやろう
私がここで言ったことを言ってやる
そのナンセンスを信じる奴を私の前に連れてこい

ここで言ったことを面と向かってストレートに言ってやろう
「ケア」しないからね

だからこの宗教は終わらせないとと言ってるんだ
人々が本当の意味での変革を起こすためにね

現実の世界で行動を起こさずに「できない」という考えは
人間の意識から一掃されなければならない

現実はそんな風には働かない、終わり
それをあなたに受け入れさせる訳にはいかない
この部屋の誰にも受け入れさせることはできない

私にできるのは、それをあなたに検討させることだけだ
常識的に考えれば、本当に考えてみれば
私がここで言っていることは絶対にその通りだとわかることだ

多くの奴らは、このような宗教的な観念によって
あなたを騙そうとする。それは人々の身を引かせ
奴らの鎖を受け入れさせるためのものだ

ニューエイジの宗教はそのためにあるのだから

ここまで

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